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『Private Lesson』



2014年10月01日

スピーチとかドラマとか

このブログで書いたかハッキリ記憶がないんですが(調べろよ)
9/21にスピーチコンテストの審査員を務めてました。

それ以外にも、古くは大学ESSのメンバーが出場する
スピーチコンテストから考えると、けっこう色々と
スピーチを聞いてきたと思うんですね。


で、ずっと前から感じてる矛盾があります。

特にスピーチをするのが小学生や中学生の場合。


クサいスピーチが多い。(ボソ)


幾つか要素があるんですけどね、まずは

1)取ってつけた話し方を刷り込まれてる

小学生の場合に顕著ですけど、大学生でも結構います。
やたらとイントネーションがオーバーで、息の強弱も
激しく、マイクに息が当たって「ボン」とかいう
ノイズが入りまくってたりします。

如何にもスピーチのデリバリーだけを練習しているのが
透けて見える感じで、スピーチに出てくる個々の音の
調音はうまいんやけど、なんかギコチナイんですね。

普段の話し方はスピーチとは全然違うベタベタな日本語
訛りの残ってる話し方なんとちゃうかなぁというのを
感じさせずにはおれない話し方になってるんですね。


2)取ってつけたようなジェスチャー

無理やり感があるのは音声面だけやなくて、ジェスチャーの
面でも結構、目立ちます。

「ここで右手を上げる段取りになってるから上げた」と
しか見えない手の上げ方になっちゃってる。

自分が伝える内容とジェスチャーが本人の頭の中で
繋がってないんですね。

意味とジェスチャーが別々に存在してて、勝手に進んでる
みたいな印象になってしまうんです。


これって、指導者の考える「これぞ上手いスピーチ」の
イメージを具現化するために指導された結果、あやつり
人形みたいになってしまってるんとちゃうかと想像できるん
ですけど、そもそも「これぞ上手いスピーチ」像がズレ
てる気がします。



ところで、この記事、「スピーチとかドラマとか」って
タイトルが付いてますやん?

上で書いたようなことって、スピーチだけやなくて
英語劇でも一緒なんですよ。役者がセリフを言うときに
体の中にある感情が自然に声に表れてるんやなくて、

「悲しい時の言い方はコレ」みたいなモデルに沿って
イントネーションとかポーズをつけて、それをなぞってる
感じでセリフを言うてしまう人がいるんですよね。


残念。



これ、スピーチにしてもドラマにしても、一つ、根源的な
原因があると思うてます。


それは、表現者自身の英語体験が乏しすぎる、ということ。


効果的に何かを伝えている人の話し方を見聞きした経験が
乏しすぎる。

だから、強調したときにどんな話になるのが自然で効果的
なのかのイメージがずれる。

しかも、自分でそういう話し方をした経験が少ないから
そのスピーチ専用に練習しないといけなくて、どうしても
ぎこちなくなる。

劇のセリフも一緒ですね。



もう1つは、練習が圧倒的に足りてない。


意味とか気持ちを伝えるわけやけど、自然な言い方が
出来ないもんやから、モデルを参考にして練習するわけです。

ただ、練習が圧倒的に足りないもんやから、前頭葉で
「はい、ここで声の高さを上げる」とか考えながら
やるから不自然になるんですよね。


話し方に関しては何も考えなくても、内容を思い浮かべて
伝えようとするだけで勝手に高くなるべきところで声が
高くなるようになるまで練習せんと。


で、まぁ、そういう練習をすれば、モデルさえ正しいものを
選べてたら、自然な話し方は身に付くもんですよ。



あ、正しいモデルってのは、教材のナレーターが録音してるもん
やなくて、ホンモノのスピーチとかドラマや映画の俳優の
話し方ですよ。



 


posted by processeigo at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
TOEIC・発音・茅ヶ崎方式@西宮北口
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